のうないはらっぱの世界

発達障害〜ADHDの息子(8)〜を持つシンママのつぶやき

現実逃避の仕方

 

どうも、はらっぱです。

 

とにかく「言語化するとかわいそすぎる。死んでよし。」とまで言われる環境で生きているはらっぱ、給料明細に書かれた59,000円という文字を見て衝撃を受けているはらっぱ。時給とはうまいシステムを作ったものだな。食い物だ。完全に私は食い物にされている。

 

今、覚醒中だ。そう、「今」と書いて「なう」だ。

 

私は脳内イメージのみで覚醒することのできる脳みそを持っている。もう、とにかくもう。覚醒するしかない。神と化するしかない。

 

今日は、そんな現実などグッシャグシャに丸めて食って吐いてやる。

ふざけてなどいない。真剣だ。

 

太陽が地平線より上にいるうちは、工場で単純作業をこなしている現在。接客や営業しかしてこなかった私にとって衝撃的なほどに精神を揺らがす物事がない。作業中は意識がそこにない。常に昇天している。

 

漫画の世界に生きているような、現実世界などそこにないのではないかと思うほど平凡で平和だ。漫画でしか描けないだろう。全くヒットなんかしない漫画だ。なぜこんな場所があることを誰も教えてくれなかったんだ。

 

もう、人間すら愛せないのではないかと思っていた私が、同僚との共同作業でときめいている。

 

「これ持ってて」から始まって、よくわからずただ持っていると何も言わず手を包み込み位置を修正される。そんな瞬間でいちいちときめける。そう、青春とは程遠い光景だが、汚れた作業着で汚れた手袋同士なのだが、ここは現実ではない。全てが光り輝いて見える。

 

ゴミ捨て一つ、走ってゴミの塊を持っていく同僚達が、運動着を着て汗を振りまいて走っていくあの光景なんだ。青春の1ページに見える。いや、そうなんだ。確かにそうなんだ。

 

移動中、作業中とは違う笑顔で会話を交わすこの瞬間なんかも。

 

いいのか?!平凡すぎないか?!

 

なんて思っていたらあの給料明細だ。そう。息子に集中していた分の時間が削られている。

 

「息子は青春じゃない」「目を覚ませ」ということなんだろうか。

 

仕事も息子も青春も全て求めるなんて無理なのか?

いや、ここには現実なんかない。

 

全て手に入れることができるはずだ。

 

「時給に生きるな」ということか?いや、私が望んだことだ。

 

「青春を求めるな」ということか?いや、そっちから来たんじゃないか。

 

誰か、私の生きる漫画の世界を平凡に、平和に描いてくれ。

それだけでいいんだ。

 

現実逃避の仕方を教えてくれ。

 

 

ストラテラ服用〜3ヶ月後の事件〜

 

どうも。はらっぱです。

 

最近息子が学校へ満足に通えていない。

ちょくちょく体調を崩し、1週間丸々休むこともある。

9月に入ってから口内炎が治らないなーと思っていたら、舌先が白く変色していき、水ぶくれでも潰れたんかというような凹凸や赤い部分も現れた。

 

ストラテラで食欲がなくなったせいなのかとも思った。元気がない日が続き、あんなに寝なかった息子が寝るようになったのだ。

 

そのため、9月後半の受診日に主治医に相談した。

だが、ストラテラの副作用に「口内炎」という項目はないということだった。食欲がなくなった延長線にいるのでは、と。

とりあえず、朝夕で服用中のストラテラだが、朝の分をやめてみることにした。

 

だが、口内炎は一向によくならない。

近所の小児科を当たるも、一旦症状が落ち着いたと思えばまたぶり返している状況だ。

 

昨日も病院へ行ったが、「口内炎はビタミン不足というより、風邪ってことが多いからね」ということだった。

 

息子に何が起きているのか、本当にわからず困惑している。

 

現実的にこれだけ休みが続くと、生活するのもやっとだ。這いつくばって生きていた毎日に更に追い討ちがかかり、私の精神もいつまでもつかわからない。

 

実は知り合いに「舌癌」を罹患した方がいる。

2週間以上口内炎が治らないと注意したほうがいいらしく、口内炎だと思っていたら舌癌だったというケースが目立つらしい。

その方も口内炎が治らず、おかしいと思って受診した上での診断だった。

舌をよく噛んだり、舌に歯型がつく人、喫煙や飲酒、口内が不衛生であることが原因となる癌だそうだが、息子は普段から指先を舐める癖があった。そこに口内炎ができてしまったら気になって仕方なく、我慢できず手で触ってしまうことも多々ある。注意していても、だ。ADHDの特徴でもあるのだろうか。

 

余計怖くてたまらないじゃないか。

 

とにかく様子をみていくしかないのだろうが、口内炎と早く決着をつけたい今日この頃だ。

 

ストラテラに関係なく、「今反抗期なんじゃないの?」という先生もいてくれてるおかげで、ストラテラの服用を中止しようかと思う選択肢も私の中にできた。

 

と、思っていたら息子自身「薬なんか飲んでも変わらないから!飲むと気持ち悪いからもう飲まない!」と言い出した。

薬を減らした時も、息子とあらかじめ相談をしていた。本人の気持ちが一番大事だからだ。それでも薬を信じる気持ちがあって、吐き気を催すとも言っていなかったから続けたのだが、もしかしたらストラテラ自体が合わないのかもしれない。

 

本人の中に一番葛藤があるのだろうと思う。

 

その葛藤が体に現れているのだろうか。

 

これから学芸会を控えているストレスもあるのかもしれないが、様子をみていこうと思う。

 

最近ゲームで負けてしまった時や、これ危ないから片付けようね、という程度の注意に対しての癇癪が酷くなっていた。この世の終わりかと思うほど泣き叫ぶのだ。

構って欲しさがあったのだと思う。大抵は「どうしたの?」と駆けつけ、ゆっくり話をする。

だがその味を占めたのか、どんどんヒートアップした息子にさすがにカチンときて、ある日またこの世の終わりのような泣き声が聞こえてきた時、無言で部屋のドアだけ閉めた。

そうするとどうだろう。

泣き叫ぶ前に「ピアニカの練習しようね」と言っていた私の言葉を思い出したようで、ピアニカを持って私のところに来た。

ピアニカを弾き始めた息子が「ピアニカうるさいな」と言ったので、皮肉を込めて「この世が終わるほどの泣き声より全然うるさくないよ」と返してやった。

そうするとまた機嫌を悪くして、買い物から帰ったばあばの元へ行った。

 

そこで、今起きたことをばあばに報告し始めた。

冷静に言葉にして、自分が悪かったことを話していた。

なんだあいついい奴じゃん、と少し自分を恥じた。(母)

 

しばらくしてまたピアニカを持って私のところへ来た。

すると「お互い機嫌が直ったところでやりますか!」という息子。

なんかいいとこ全部持ってかれた気がするが、私より大人な対応に私の機嫌も直った。

 

なんだろう。

悟っている部分と子供の素直さの差が激しすぎて、本人が戸惑っているのかもしれないと思った。

こんなに差があったら、どうしていいかわからなくなって当然だ。

 

また少し様子をみることにする。

じゃあ、またね。

 

 

 

 

ストラテラ服用〜2ヶ月後の今〜

 

こんにちは。はらっぱです。

 

ストラテラを服用開始してから、気付けば2ヶ月が経過した。

 

毎日一緒にいること、ストラテラの効き目はコンサータと比べると俄然緩やかであることからか ”これは効き目が出てるぞ!” と目に見えて感じるようなことはなかった。

 

 

 

だが、1週間ほど前のこと。

 

いつも私が先に風呂に入り ”いいよー!” と息子を呼ぶ。そうすると決まって「はあああああ?!もうかよ!」と当たり散らしながら、トイレに行き風呂に来る。

 

またいつものように「いいよー!」と呼ぶ私の声に反応し、「はあああああ?!」と言いながらも、

 

 

「ま、これいつものことだから」

 

と、突然自分を客観視した発言が出た。

 

そして「入っちゃえばいいんだけどさ」と。

 

 

 

ストラテラの効果が出ているのか息子自身が成長したのかわからなくなるが、多分どちらもなんだろう。ストラテラの効果が少しでもあって落ち着ける自分に少し自信が持てるようになったとしたら、薬の力を借りることも良いことなんじゃないかって思った。

 

私は母親に否定されて育った過去がある。人間堕ちる時はどこまでも限りなく堕ちることができる。堕ちる過程にある越えてはいけない壁は、越えれば越えるほど越えてしまう。

そして堕ちてしまう自分を知れば知るほど、ポジティブなことに恐怖心が芽生える。堕ちて行く自分など、堕ちる壁を越えられてしまう自分など知らない方がいい。

 

 

私も息子もどこかへ行く前など、 ”めんどくさい。あー・・・めんどくさい。” となるが、行ってしまえば逆に ”もう帰りたくない” となるタイプだ。

 

そんなことを学校に行く前などに繰り返し話していたら、本人も納得していたようだ。

「ママと一緒だね。」と安心したように話す息子がいる。

 

自分をコントロールするには自分を知ることが先決だ。

小学校2年生にしてこんな機会を与えられたことには辛くもあるが何か意味があると思う。

 

”自分はこれができない” と挑戦をやめてしまうことはよくないが、失敗をある程度受け入れられる体制を取ってから挑戦をしていけばいいのではないかと思うんだ。

 

息子は ”失敗” に対してものすごい抵抗がある。

息子自身が「間違えるのがすごく嫌なの。」と言うくらいだ。

 

それには私自身もすごく共感できるから、”失敗” や ”間違い” に対しては決して怒るようなことはしない。

 

特に息子が嫌がるのが、勉強に関しての間違いだ。

答えが間違っている場合は「やり直して」とか「これ違うよ」とは言わない。「ここまでちゃんとわかってるね。」と否定をせず、「ここから一緒にもう一回やってみよう。」と誘導し、終わったらまた褒める。

苦手な漢字に関しては、答えを見せながら漢字の意味を独自に考えつつ教えることもある。

 

どうしても集中力が続かない場合は、ボールペンを使わせてみたり、休憩を入れたり、 ”ここまでできたからよし” と、全て終わらなくても気にしないことにしている。

 

 

薬物治療に否定的な私だったが、使ってみてよかったかなと思いはじめた。

昔に比べて今の子供たちは、処理しなくてはならない情報量が圧倒的な時代だ。脳みそだって疲れるだろう。薬に頼ってみるのも一つの方法なのではないかと思う。

 

主治医曰く、「ストラテラはゆっくり効果の出る薬だから気長に続けることだね」とのことだ。

 

これからも様子を見ていこうと思う。

 

それじゃあ、またね。

 

 

ストラテラ服用開始〜3週間目〜

 

こんにちは。はらっぱです。

 

今日は朝7時から地区の草取り。

なんと言っても今年の夏は猛暑。暑い。7時といっても日が当たる場所は全く朝な気がしない。というのに気付くのは、日の当たる場所を作業スペースにしてしまった後だ。

陣地取りが果てしなく苦手。ここ!って決めた場所は敵がいない。だってみんながまず避ける場所だからね。そんなのは昔からなんだ。

 

「そこ暑くないの?」「「暑いです」」「えー!」ってなるやつ。

 

運動をしにいったときにかく汗とは爽快感が違う。汗の種類も違う気がしてしまう。こりゃ気持ちの問題だろうか。

 

なんてことはさておき、息子のストラテラ服用開始から今日で18日目。

3週間目に突入している。

 

効果が出てくるまでに2週間はかかるということだったが、私にはまだ効果を感じ取れない。

 

むしろ酷くなっているんじゃないかとさえ思う。

 

2日前に、片腕に何かの跡をつけて帰ってきた息子。

放課後の児童クラブの先生から「今日学校でイライラして自分で噛んだみたいなんです。」と。

 

確かに1年生のときにもあったのだが、2年生になってから初めてだ。それも薬物治療を始めてから。

自分の体を傷つけることだけはしてほしくない反面、どうしようもないときもある。その気持ちはよくわかる。宿命なのかもしれないとさえ思うこともある。

 

そして昼間は映画館にて映画鑑賞をしてきた。いつもはどんなに疲れても集中し感動しながら観ているはずなのだが、今日は映画の途中「帰りたい」と初めてのワードが息子の口から出た。ひそひそ声で話す「すごいね」「〇〇だね」という合間の感想もほとんどなかった。

 

なんだろう。息子がいなくなっていく気がしている。

気にしすぎなのかもしれないが、余計に自分の衝動的な行動についてプレッシャーを感じている気がするんだ。

 

このまま薬物治療を続けていくのか。問題を起こしても子供らしく自由に行動させるのか。

 

選択肢が難しすぎる。

 

私としては問題を起こしても子供らしく、息子らしく行動させたい。だが世間の目は冷たい。私だけを非難すればいいのに。

私はいくら非難されても構わない。どんな目で見られても。別に最初から普通でもない。世間の目など冷たくも暖かくもいくらでも変わる。いくらでも謝りにいく。いくらでも孤独にも後ろ指にも耐える。むしろその指舐めてやる。

 

「仲良くしてくれるのは嬉しいけど、危険を無くしてほしいんです」

ある親が言った。

 

人間にとっては誰でも ”生きている” こと自体が危険ではないのか?

危険は四方八方どこにでも潜んでいる。目に見えるものもあれば目に見えないものもたくさんある。目に見えるものばかりから身を守ろうとするから、足元をすくわれる。

 

息子の存在が危険だと?少し人と違ったらいけないのか?

この便利な世の中は、”普通”とされる人間だけだったら成り立っていない。今の時代はなかったかもしれない。

 

イミテーション・ゲーム” という海外映画を是非観ていただきたい。

この気持ちを代弁してくれる作品の一つだと思った。

 

 

 

だが息子自身が、そんな自分の行動に傷ついていることが難点だ。衝動的に手が出てしまう自分を ”悪い子” と言う。

「それは違う」といくら否定しても、息子は ”悪い子” のワードが頭の中を支配している。息子自身のせいではないこと、息子のいいところを褒めること、何度でも失敗していいことを伝えることしかできない自分が虚しい。

 

もっと私に余裕があればいいのだが。

”焦らずゆっくり” と自分に言い聞かせてはいる。

 

中々上手にできないもんだ。

 

愚痴のようになってしまって申し訳ないが、この状況が好転するよう気持ちは前を向いていようと思う。

 

工作が大好きな息子だ。色々体験させて、その発想力と器用さを伸ばしてあげたい。

細かいことなんか忘れてしまえばいい。

 

じゃあ、またね。

 

ADHD〜3回目の受診〜

 

こんにちは。はらっぱです。

 

今日はADHDの息子の通院日。

1月に初めて総合病院を訪れてから本日で3回目となった。

 

進級して2ヶ月経ったが、担任の先生が変わってから驚くほど落ち着いた息子。

 

現在の担任はとても理解に努めてくれる先生で、基本的になんでも褒める姿勢で、もちろん大事な時には上手に叱ってくれ、相棒という名の人形を作り息子の注意を引くなどの工夫まで施してくれている。

 

それと同時にお友達が家に遊びに来たり、お友達の家に遊びに行くという今まで考えもしなかった変化も訪れた。

 

急激な変化に私がついていけないほどである。

とても嬉しい変化だ。

 

あんなに気に病んでいた日々はどこにいったのだろう。一度死んだ私が生まれ変わった気分だ。もちろん薬のおかげでもあるかもしれないが。

 

もちろん問題が全くなくなったかと言えばそうではない。ADHDは脳の一部に不具合が生じているらしく治ることはないからだ。

 

ということで人生大逆転なんてものは早々に起こりうるものではなく、先日事件が起きた。

 

 

”息子が投げた石が、友達の目の下に当たってしまった” のだ。

 

 

目の ”下” だったことが不幸中の幸いではあるが、なんとも恐ろしい事件である。

 

それだけ聞くと「まぁまぁ聞く話だよね」と思う方もいるかもしれないが、今回はその石を投げるに至った経緯が問題だ。

 

”息子が投げた石が、友達の目の下に当たってしまった” という話を聞いた時点で私の頭をよぎったのは、「喧嘩をしてカッとなった息子の姿」だった。

 

だがよくよく話を聞いてみると、「喧嘩をしてカッとなった息子の姿」ではなく、「ルールにしたがった息子の姿」があったのだ。

 

どういうことかというと、その日の休み時間中5、6人の友達と遊んでいた。”おにごっこ” をしようということになったそうだ。

 

 

 

でもその日は、

 

”石を投げていい”

 

 というルールができた。

 

 

 

楽しく遊びながら投げた石が、たまたま友達に当たってしまったのだ。

息子の ”不注意” だった。

 

もちろん誰が決めたとかそういうことはもはや問題ではない。

 

すごく複雑な気分だった。

 

 

 

「ルールにしたがって楽しく遊んでいた」息子がいる。

でもそのルールは決して許されるルールではない。

 

今息子が一生懸命努力していることは、学校や友達との関わりの中でのルールについてだ。集団生活を送る中で欠かせないとされる ”ルール” 。

大人の私でもク◯喰らえ!と思うようなルールの多さにうんざりしている中で、でもそんな社会の中で必要とされる ”ルール” に基づいてこんな事件が起こった。

 

成長を感じるとともに、そういった問題も同時に降りかかる。

 

一つ一つ褒めながら、大事なことは伝えなければならない。

決して声を張り上げて怒るようなことはしてはいけない。

伝えればきちんと理解する。

 

ただ、”不注意” や ”衝動的”な行動、”多動性” を自分で抑えることは難しい。

イライラしているわけではなく、手や足が出てしまうことは本人が一番悩んでいることだ。悩みとして自覚している。

 

毎日努力しているのに、自分で壊してしまう。

なんとも不憫でならない。

 

そこでだ。

 

今回の受診から、ストラテラを服用することになった。

 

薬だけは飲ませたくなかったのだが、本人が困難(手や足が出てしまうこと等)を自覚していることが今回服用を決めたきっかけだ。

 

土台がないとその上が築けない。

どれだけやる気があってもやる気も続かず、できないことの方が多い。

 

多動性、不注意、衝動性。

それらを緩和することができたら、できることはぐっと増えるだろう。

 

自分が必要ないと決断するまで続けてみようと思う。

 

もちろん周りのサポートも変わらず必要だ。

 

ストラテラは効果が現れるのに約2週間ほどかかるそうだ。緩やかではあるだろうが経過を見守っていく。慣れるまで食欲が減退するなどの副作用は多少あるようだが、そこをまず乗り切れたらと思う。

 

そんな感じ。じゃあ、またね。

 

 

習慣化すること

 

こんにちは。久しぶりのはらっぱです。

 

最近はとにかく映画と海外ドラマを見まくった。

いつもは息子の進級や誕生日等で忙しい4月だが、今年はよく状況が理解できないまま過ぎていった。

 

”ブログを続ける” という意思はどこへいったものやら。

 

私はいつもそうだ。やりたいことがコロコロ変わる。「あいつまた始めてすぐやめたぜ」って、自分に対して思うほどだ。習慣化できない。

”日記を毎日書こう” ”絵を極めよう” ”セルフネイルの勉強しよう” ”あの資格を取ろう” ”毎日トイレ掃除しよう” ”毎日腹筋30回” とか。

 

まず目標のたて方が上手くないのだが、そんな漠然とした目標で実現したものもある。でも、ほとんどが続かないとわかっている自分に落胆してからは ”目標にしなきゃいい” というお決まりのクズ思考へと移る。”どうせ続かないだろうしな” と思って始めることをやめてしまう。

 

きっと共感する人も多いのではないか。

”何をやっても続かない” ”コツコツが苦手だ” ”すぐ飽きる” とか。

 

でも、やはり ”目標” が欲しくなる時がある。

だが、そしてまた落胆する。

 

・・・この繰り返しが、私だ。

 

始めることをやめてしまったら、どんどん何かを失っていった。何も得ていないのに、何故失うのか。

 

それは、自分が ”何もしない” ことを得たからだろう。

 

だから ”ブログを続ける” に対して、3日坊主にならなかっただけマシだと思うようにした。

 

 

人が何かを習慣化するには、

・行動習慣(勉強、読書、日記)

・身体習慣(ダイエット、早寝早起き、運動)

・思考習慣(プラス思考になるなど)

の、どれかによっても違ってくるらしい。

 

私が掲げた「ブログを続ける」という行為は ”行動習慣” に当てはまる。”行動習慣” を習慣化するには ”30日” かかるらしい。

 

”身体習慣” は3ヶ月。”思考習慣は” 6ヶ月。

 

一番習慣化しやすい ”行動習慣” で挫折している。今までの記事を数えてみると、たった13記事だ。

 

でも待てよ。

 

やはり習慣化できなかったものは、心から ”習慣化する必要性” を感じていないからじゃないのか?

 

だって考えてみてよ。

毎日朝起きてる。2、3日間寝続けたりしてない。毎日起きたら顔も洗ってるし、ごはん食べたら歯磨きもする。毎日化粧だってしてるぜ。

 

だってただ単に必要だから。

てことは、できてるじゃん習慣化。

自分偉いよ。パチパチパチ

 

やっぱりそれは ”必要性” を感じているからだ。

だったら ”必要性” を感じるため理由をでっち上げればいい。

 

 

”ブログを続ける” ことが必要な理由とは?

 

 

「ブログを続けないと死ぬ」

いや、これは無理矢理すぎて納得できない。

 

「ブログを続けると家をもらえる」

願望は願望でも現実味がない。

 

「ブログを続けるといい女になる」

お、ちょっといい線にきたか?自分磨きになるかもしれない。

 

「精神安定を図るためにブログを続ける」

いい女になることより、今私に必要なことをあげてみた。

 

「気分転換が下手な私の脳内を文章によって整理することにより、精神安定を図ることで今後の人生に光を見い出すためにブログを続ける」

いや、なんか重いわ。

 

 

結論。

 

「やりたいことをやりたい時にやれ」

 

以上。

 

 

ブログは書きたい時に書けばいい。ただ、やめない。

ただ、少しでも読んでくれている人の役に立つことができたら嬉しい。

 

どうでもいい内容でした。

 

じゃあまたね。

 

母と娘の関係(連鎖)

 

どうも、はらっぱです。

 

少々殻にこもっていた。十代の頃からどんどん深い渦に巻き込まれていっていた思考回路が、今一周して戻ってきた。

 

”自分を変えたい”

”生きやすい環境に身を置きたい”

 

そう思ったんだ。

 

”自分を変えたい” というのは、生きていれば何億万回(小学生風)も思うことだろう。でも、”生きやすい環境に身を置きたい” が追加されたんだ。

人間の波に乗れば生きやすいことは知っていた。でも人間の波に乗ることが嫌になってから、どんどん道を逸れて行くしかなかった。”どこかに自分の答えがある” と常に答えを探し求めていた。

 

でも待てよ?

なぜ人の波に乗るのが嫌になったのかを考えてみた。

私の場合で例をあげると、

 

①何でも一番になることはできない

②人と同じは嫌だ

③何も考えていない人間ばかりで自分もバカになりそう

④貧乏で人格否定されて育った自分に土俵などない

 

など、プライドが高く自己評価の低い女だったのだ。

 

じゃあもっと掘り下げてみよう。

なぜそう思うのか。

 

①一番にならないと親に褒めてもらえない

②人と同じことでは勝てない

③学歴等の劣等感が強い

④お金持ちは親から振る舞いや行動の仕方、お金の使い方を日常的に学んでいるから、自分がそうなれるわけがない

 

これ、親への当てつけが強いのではないか。

ちょっと待て。”親の思い通りには生きたくない” と思っているはずなのに、”親に認めてもらいたい” だけの自分になっているのではないか。

 

これ、前から気付いていたことなのだが ”いや、自分に限ってまさかな” と思っている自分がいたと思う。そればかりか、”姉の方(姉がおります)が愛情に飢えていたんだから私は今親のそばにいることを感謝しなければならない” と、いい子ちゃんも出ていた。

 

おいおい。

私って、”マザコン” ってやつじゃないか。

 

どこかで常に母親が思考回路を支配している。こんな話を同じ境遇の友人としたことが何度もあるのだが、そこでも常に ”いや、私に限ってまさかな” と思っていた。

 

ちょっと待て。

もしも ”いや、自分に限ってまさかな” と思っている人は要注意だ。

もちろん、気付いても気付かないふりをしないと生きていけない状況が人にはある。私もそうだった。だから気付いては蓋をして ”無” の自分を保ってきた。

母から離れることが一番だと気付いて自立することを伝えた時、「出て行くなんて許さない」と言われた言葉にも従ってきた。「子供がかわいそうだ」と子供をネタにして罪悪感も植えつけられていた。人には「あの子が一人でやっていけるわけない」と言われていたのだが。

 

でも、またその ”違和感” に気付いて抜け出したいというサイクルが回ってきた。今、”チャンス” なわけよ。これを過ぎるとまた数年回ってこないだろう。

思考回路が一周して戻ってきたと言うよりは、何周もしてきた思考回路がひとまとめにして大きな輪を描いて戻ってきたようなイメージだ。

 

そこでだ、最初にお話しした ”生きやすい環境に身を置きたい” 。これって、本当に普通のことをするだけでいいのではないか。

例えば、”イライラしたら深呼吸をする” とか、”疲れた時はお風呂にゆっくり浸かる” とか。”運動不足だと感じたらランニングする”とか。

アドバイスとして人に言われる度「・・・?」と言葉が出なくなるほど在り来たりだと感じていて、「何を言っているんだこの人は。」としか思わなくなるほど思考の渦に巻き込まれていたんだ。”そんなアドバイスは小学生でも知っている。私は解決策が欲しいのだ” と。

 

でも後になって思った。それこそが一番の解決策なんじゃないかと。

 

誰も人の人生を変えることはできない。

助言をもらったからと言って、それを実行するのかしないのかは本人の意志だ。

 

前にあったんだ。悩んでいる友人に助言のつもりでアドバイスをしたら、友人の旦那様から「お前にこうしろって言われたからやったって言ってんぞ!殺すぞ!」と。

それ、違うよねって。友人からすれば「言う通りにしただけなのに何が悪いの?」ってことでしょ?

でも選んだのは自分じゃんねって。

私は具体的にアドバイスをしすぎたのかもしれない。説得力があると言われるタイプだ。理想をイメージさせてしまったと同時に、マインドコントロールにでも陥らせてしまったのだろう。

”信者” みたいなものが生まれる。だから縁を切ることも多かった。

私は共感より解決策を求める男性的思考だそうだ。だから、人にも共感でなく解決策を求めていた。

 

そう、具体的な解決策を講じるためにはその人の人生に踏み込む必要がある。そして踏み込みすぎてしまったんだ。でも、それでは自分も気負いすぎてしまう。代わりに人にもそれなりの答えを求めてしまっていた。

でも、それ違うよね。ただ単に ”すごい” と思われたかっただけかもしれない。人との距離感なんて ”イライラしたら深呼吸しなよ” くらいがちょうどいいんだ。

 

大切な人には深いところまで踏み込んでしまう。どうでもいい人は接点すら持とうとしない。

 

これ、歪んでるよね。

 

母親と同じ ”支配欲” を他人に向けて実行していた。これには今回殻にこもるまで気付けなかった。

支配できない人間を嫌いになることもあった。でも、縁を切らなかった友人たちがいる。どこかで気付いていたんだろう。他人に支配されない人間が、私は ”好き” だと。

 

”母と娘の関係は連鎖する” と聞いたことがあるが、私はこの連鎖を断ち切りたい。人との関係も、私のやり方で築いていきたい。

私と母の親子関係など、私の息子には関係のないことだ。息子がADHDであったことで気付かされたことも多い。一番支配できない存在だ。元々の息子の性格もあるはずだし、息子には自由に生きて欲しい。親は子供のサポートをする存在で十分なはずだ。愛があれば伝わるものだと思うが、もちろん言葉にすることも大事だ。

 

時間はかかるだろう。深呼吸したりお風呂にゆっくり浸かったり、ランニングでも始めていらない考え方を捨てていこうと思う。

 

支離滅裂ですまない。

 

じゃあ、またね。