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のうないはらっぱの世界

ADHDの息子(8)を持つシンママのつぶやき

母と娘の関係(連鎖)

 

どうも、はらっぱです。

 

少々殻にこもっていた。十代の頃からどんどん深い渦に巻き込まれていっていた思考回路が、今一周して戻ってきた。

 

”自分を変えたい”

”生きやすい環境に身を置きたい”

 

そう思ったんだ。

 

”自分を変えたい” というのは、生きていれば何億万回(小学生風)も思うことだろう。でも、”生きやすい環境に身を置きたい” が追加されたんだ。

人間の波に乗れば生きやすいことは知っていた。でも人間の波に乗ることが嫌になってから、どんどん道を逸れて行くしかなかった。”どこかに自分の答えがある” と常に答えを探し求めていた。

 

でも待てよ?

なぜ人の波に乗るのが嫌になったのかを考えてみた。

私の場合で例をあげると、

 

①何でも一番になることはできない

②人と同じは嫌だ

③何も考えていない人間ばかりで自分もバカになりそう

④貧乏で人格否定されて育った自分に土俵などない

 

など、プライドが高く自己評価の低い女だったのだ。

 

じゃあもっと掘り下げてみよう。

なぜそう思うのか。

 

①一番にならないと親に褒めてもらえない

②人と同じことでは勝てない

③学歴等の劣等感が強い

④お金持ちは親から振る舞いや行動の仕方、お金の使い方を日常的に学んでいるから、自分がそうなれるわけがない

 

これ、親への当てつけが強いのではないか。

ちょっと待て。”親の思い通りには生きたくない” と思っているはずなのに、”親に認めてもらいたい” だけの自分になっているのではないか。

 

これ、前から気付いていたことなのだが ”いや、自分に限ってまさかな” と思っている自分がいたと思う。そればかりか、”姉の方(姉がおります)が愛情に飢えていたんだから私は今親のそばにいることを感謝しなければならない” と、いい子ちゃんも出ていた。

 

おいおい。

私って、”マザコン” ってやつじゃないか。

 

どこかで常に母親が思考回路を支配している。こんな話を同じ境遇の友人としたことが何度もあるのだが、そこでも常に ”いや、私に限ってまさかな” と思っていた。

 

ちょっと待て。

もしも ”いや、自分に限ってまさかな” と思っている人は要注意だ。

もちろん、気付いても気付かないふりをしないと生きていけない状況が人にはある。私もそうだった。だから気付いては蓋をして ”無” の自分を保ってきた。

母から離れることが一番だと気付いて自立することを伝えた時、「出て行くなんて許さない」と言われた言葉にも従ってきた。「子供がかわいそうだ」と子供をネタにして罪悪感も植えつけられていた。人には「あの子が一人でやっていけるわけない」と言われていたのだが。

 

でも、またその ”違和感” に気付いて抜け出したいというサイクルが回ってきた。今、”チャンス” なわけよ。これを過ぎるとまた数年回ってこないだろう。

思考回路が一周して戻ってきたと言うよりは、何周もしてきた思考回路がひとまとめにして大きな輪を描いて戻ってきたようなイメージだ。

 

そこでだ、最初にお話しした ”生きやすい環境に身を置きたい” 。これって、本当に普通のことをするだけでいいのではないか。

例えば、”イライラしたら深呼吸をする” とか、”疲れた時はお風呂にゆっくり浸かる” とか。”運動不足だと感じたらランニングする”とか。

アドバイスとして人に言われる度「・・・?」と言葉が出なくなるほど在り来たりだと感じていて、「何を言っているんだこの人は。」としか思わなくなるほど思考の渦に巻き込まれていたんだ。”そんなアドバイスは小学生でも知っている。私は解決策が欲しいのだ” と。

 

でも後になって思った。それこそが一番の解決策なんじゃないかと。

 

誰も人の人生を変えることはできない。

助言をもらったからと言って、それを実行するのかしないのかは本人の意志だ。

 

前にあったんだ。悩んでいる友人に助言のつもりでアドバイスをしたら、友人の旦那様から「お前にこうしろって言われたからやったって言ってんぞ!殺すぞ!」と。

それ、違うよねって。友人からすれば「言う通りにしただけなのに何が悪いの?」ってことでしょ?

でも選んだのは自分じゃんねって。

私は具体的にアドバイスをしすぎたのかもしれない。説得力があると言われるタイプだ。理想をイメージさせてしまったと同時に、マインドコントロールにでも陥らせてしまったのだろう。

”信者” みたいなものが生まれる。だから縁を切ることも多かった。

私は共感より解決策を求める男性的思考だそうだ。だから、人にも共感でなく解決策を求めていた。

 

そう、具体的な解決策を講じるためにはその人の人生に踏み込む必要がある。そして踏み込みすぎてしまったんだ。でも、それでは自分も気負いすぎてしまう。代わりに人にもそれなりの答えを求めてしまっていた。

でも、それ違うよね。ただ単に ”すごい” と思われたかっただけかもしれない。人との距離感なんて ”イライラしたら深呼吸しなよ” くらいがちょうどいいんだ。

 

大切な人には深いところまで踏み込んでしまう。どうでもいい人は接点すら持とうとしない。

 

これ、歪んでるよね。

 

母親と同じ ”支配欲” を他人に向けて実行していた。これには今回殻にこもるまで気付けなかった。

支配できない人間を嫌いになることもあった。でも、縁を切らなかった友人たちがいる。どこかで気付いていたんだろう。他人に支配されない人間が、私は ”好き” だと。

 

”母と娘の関係は連鎖する” と聞いたことがあるが、私はこの連鎖を断ち切りたい。人との関係も、私のやり方で築いていきたい。

私と母の親子関係など、私の息子には関係のないことだ。息子がADHDであったことで気付かされたことも多い。一番支配できない存在だ。元々の息子の性格もあるはずだし、息子には自由に生きて欲しい。親は子供のサポートをする存在で十分なはずだ。愛があれば伝わるものだと思うが、もちろん言葉にすることも大事だ。

 

時間はかかるだろう。深呼吸したりお風呂にゆっくり浸かったり、ランニングでも始めていらない考え方を捨てていこうと思う。

 

支離滅裂ですまない。

 

じゃあ、またね。

 

”罪悪感” は捨ててしまおう

 

こんにちは。はらっぱです。

 

息子が晴れて小2に進級した。ぱちぱち。

担任の先生も変わり、校長先生も変わり、児童クラブの先生も変わり。

まだお会いする機会がないためどんな先生方なのかわからないが、期待と不安に満ちている私。息子は新しい担任の先生に関して「ちょー優しい先生!」と見解を述べていた。

これからどうなっていくのか。でももう突き進むしかない!というところまできて新たな問題が起こる。

 

現在私と息子は私の母の実家で暮らしている。実家ということはそう、祖母の家だということ。小6から高1まで私が暮らしていた家だ。

私と祖母の馬が合わず家を出たのだが、親戚も近くにいることや息子が低学年のうちは誰か家にいてくれたらありがたいということで出戻りしたのだ。

もちろん高齢のため私たちも力になれる、と言うことでお互い合意したのだが。

 

だが引っ越ししてから1年半、やはり馬が合わない。こちらは究極に気を使って生活しているつもりなのだが、祖母にとったら ”うざい” のだろう。

元々誰と暮らしても馬の合わない祖母だ。それはしょうがないのかもしれないが、子供が嫌いな家柄だ。相当なストレスなんだろう。私のことも ”子供” の部類に入るのかもしれない。

 

先月祖父が亡くなってから、当たるところも気の行くところもなくなってしまった。それが引き金となったのか、息子に当たるようになってきた。被害妄想のターゲットが息子になってしまったのだ。

 

息子がゲーム機を充電しているとわざわざそこへ行き、「これ危ないんだよなあ!」と声だけが届くように言う。「おかえりって言っても無視するしな」とか、こたつで足が当たると「痛いなあ!まーず」など、絶対に視線はこちらへ向けないのだが嫌味を言う時の顔を多く見受けられるようになった。まず半端なく耳が遠い。言っていても聞こえない。というか、息子は気が散っていない限りあいさつは必ずする子供なのだ。

物にも当たる。例えばこちらが息子を寝かせているとわざわざ起きてきて、どこのドアも「ダーン!」と閉める。正直ビビる。

ADHDの子供は物音に敏感で寝付くのにも時間がかかる。祖母に言うと差別を受けるため、というか多分理解できないため説明していないから仕方がないのだが。

学校へ通うだけでいっぱいいっぱいの息子に追い討ちをかけてしまう。

 

親戚にも私たちの悪口を言いふらしているようで、肩身の狭い私は何も言えない状況だ。また同じ状況になってしまった。

やっと和解できる年になったと思ったのだが。

以前、友人と話していて気づいたことなのだが、私は何かを決める時 ”罪悪感” で動いていた。仕事もそうだ。シングルマザーということからくる ”罪悪感” で全てを子供優先で決めていた。親からの圧力にも答えなければならないと思い込んでいた。苦手でも嫌いでも私が犠牲にならなければいけないと。

今回も同じだ。今度こそは祖母と和解すると。思春期の私が迷惑をかけてしまったんだから、今の私ができることをやらなければと思った。

 

全ての先頭にいるのは母だが。

家を出て行くことも許されなかった。だから祖母の家に決めたのもある。

 

”罪悪感” から行動を起こすことは何事もうまく行かないということを、身を以て体感している。私の ”罪悪感” や ”家族間の問題” など息子には関係ないことなのに。

息子を守れるのは、”私” だ。私が母の子供であることなど息子には関係ない。

ただ、今また環境を変えてしまうことは息子の症状を悪化させてしまう危険がある。祖母からのいじめがエスカレートしないうちに環境を変えるのか、ギリギリまで我慢するのか。フォローするにも限界はあるだろう。

 

新たな問題を解決させるために、頭をフル回転させるとする。

暗い話でごめんね。

全ては ”勇気” だ。私に足りないのは ”勇気”。

 

じゃあ、またね。

 

ADHDの子供に宿題はやらせるべきか?

 

こんにちは。はらっぱです。

 

息子の春休みも最終日。ということで、春休み帳のやり忘れページを ”もう逃れなれないぞ” という雰囲気で追い込みをかけてみた。

もちろん ”キー!” となった息子だが、息子自身ももう逃れられないと察したのか機嫌が悪くなりながらもやり遂げた。総復習はやらせておきたかった。

 

いつも宿題をやるとき、児童クラブ以外は一緒にやるようにしている。「宿題やりなさい」で動く子供ではない。集中するときはガー!っと一気にやり終えるのだが、やはり家に帰ると頭はゲームのことでいっぱいだ。

でも私は ”宿題はやらなければいけないものではない” と思っている。全くやらなくていいというわけではない。どうしても集中力が出せない日や「忘れてきた!」とはなからやる気のない日は責めないことにしている。

 

もちろん最初は ”毎日やらせなければ” と思っていた。でもそれは、子供にとっても私にとっても相当なストレスとなった。”どうして当たり前のことができないんだろう” という疑問にも毎日悩まされていた。

担任の先生にも「宿題をやらせてください」と言われていた。「ダメな親」と思われたくなかっただけかもしれない。その結果、私自身をも追い込むことになった。

その子にはその子のペースがある。強制する必要はない。”当たり前” だと思うのは考え方の ”癖” でしかない。

 

それよりも息子が「コロンブスってどんな人?」「オロチって妖怪は本当にいるの?」という日々の中で湧いた疑問に答えるとともに、一緒に学ぶ方が大切ではないかと思っている。人間誰しも興味を持ったことに対しての集中力や、やる気は持続しやすい。それに伴って吸収力も増すだろう。

計算問題でも漢字でも、今の時代アプリなどゲームで学習ができる。ポスターでもいい。ふとした時にこちらから問題を出したりもする。お風呂なんかも使える時間だ。

息子のクラスは宿題を忘れた場合、学校の休み時間にやっているそうだ。先生が決めたルールのようだが、自分のやりやすい方法を自分で選んでいると思えばずっといい。

ADHDの子供の好奇心は無限。たくさんの種を拾って歩いている。

人と同じでなければいけないことはない。最低限のルールは人間社会で暮らしていくために守らなければならないが、それだけだ。

 

余談だが、宿題どうこうではなく自分の気持ちをうまく伝えられるようになることの方が必要だ。言葉にできない気持ちが ”暴走” に変わる。私もそうだった。教えられる立場ではないが、訓練でどうにかなる。だから息子が何か一生懸命話そうとしているときはこちらも一生懸命話を聞く。

今日あったこと、楽しかったこと、嫌だったこと。全て話せとは言わないが、最初はこちらから質問する。それは保育園時代から続けていたことだが、もちろんめんどくさがって答えない方が多かった。だが最近は自分から話をするようになってきた。

何が楽しくて、何が嫌なのか。大人でも分かっているようでわかっていないことが多い。分かっていないのに説明しろと言われても無理なことだ。だが、話す環境があることで次第に自分の中で自分の感情を理解しようとする。区別できるようになる。

 

ADHDの子供を動かすのは一筋縄ではいかないことの方が多い。怒ってしまえば「自分って本当にダメだ」と自虐に走る。それより、できたら褒めるほうを優先してあげたい。

ADHDの子供の成長に寄り添うのは数倍苦労するが、数倍楽しい。

親としては ”まあいっか” をおまじないとしている。完璧主義の私には効果抜群だ。ゲームボーイ時代のポケモン ”みず or ひこう or こおりタイプ ” のポケモンに10万ボルトを浴びせた時の「ズバン!」という効果音が脳裏に響く。(今もそうなのかな)

 

最後に国語が苦手な(字を書くことが面倒臭いらしい)息子の解答例を置いていく。

児童クラブでやってきたページで、丸付けをしていたら思わず手が止まった。

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 人が来るたび叫ぶ犬って。

 

人「こんにちはー」

犬「うわああああああああああああ!」

 

想像するとやばい。(この後、丸をつけました。)

 

じゃあ、またね。

 

追加

こんなに宿題が多いのは私の住む地域ならではのようだ。休みが短い上に宿題が多いのが特徴である。

変わらないなあ。田舎は。

 

 

頭の中がせわしない

 

こんにちは。はらっぱです。

 

母が定年を迎えたということでお祝いをと思うのだが、祝い事が重なってしまい一体どれから優先してプレゼントを買っていいかわからない状況のまま今日になってしまった。結婚に引っ越しに誕生日に。祝い事が重なるのはめでたいことなのだが。

 

それでもこれだけ買った。

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”出席簿” とか ”学級日誌” の色紙なんかもあった。先生や異動の社員に送るという宣伝文句だったが、これは親にも使えそうだ。

 

上司が一気に異動しての挨拶と、息子の小学校の担任やお世話になった先生方がこんなことあるのかってほどごそっと異動して行ったことによる挨拶が終わったと思った矢先。児童クラブの先生まで移動してしまうとは。私の頭はまだパニック状態だ。”のうないぱにっく”にでも改名しようか。

地区の役員にもなってしまった。”鬱”の私には重大な任務である。

 

4月が忙しいのは毎年のことだが、予定を立てるのが下手な私だ。今年は特にてんてこ舞いという言葉がふさわしい。日本舞踊でも習おうか。

祖母が日本舞踊を習っていたためか、幼い頃の私が扇子を持って踊っているビデオが出てきた。音楽に合わせることもまだ知らない。踊っているというより、扇子を ”スローで大空を舞う飛行機” に見立てて動いているだけだ。

いわゆる祖母の自己満足に素直に付き合っている孫の映像だった。「上手だねえ」と褒める祖母の姿から察する。そうなってくると日本舞踊なのか何なのかも結局のところわからない。なんとも微笑ましい、と言うべきか。

 

引っ越しをする友人のお祝いだけは用意したんだ。引っ越しを手伝う予定だった日が変更になったため手元にあることで余計に混乱してしまう私である。

引っ越し祝いを購入した折「包装してください」とお願いしたところ、「セルフサービスになります」という現実を突きつけられ驚愕と困惑で顔を落としそうになった。それでも現実を受け入れ、たくさんの人間が行き交う中せっせと包装する私の手はかすかに震えている。必死に抑えたつもりだが鬱の症状が強く出てしまうタイミングだ。またも”のうないぱにっく”だ。

ああ、物珍しそうに私のことを人が見ていく。正確に言えば ”行為” を見ているだけなのだが。笑われている気がしてならない。終わった頃には汗ぐっしょりだった。

 

感情が顔に出ない私は誰にも気付かれないというのが時にデメリットとなる。困っているように見えないため、「できません。」という言葉をまず信じてもらえない。今日会った人に「手伝って!」とも言えない。焦っていても「いつも落ち着いてるね」とかめちゃくちゃ緊張していても「緊張とかしなそうだよね」と言われてしまう。

体と心が連動していないのだ。

 

今日友人とお茶していたら「〇〇って時に変な人引き寄せるよね。誰に対しても態度が変わらないから。いいことのはずなのに時に仇になるんだね。」と言われた。

そうだった。世の中矛盾しているんだった。良いこととされることでも悪いこととされることでも、メリットとデメリットが存在する。結果、他人から見て良いことか悪いことかどうかという解釈のみだ。自分にとってメリットかデメリットか判断するのは自分しかいない。人間は自然と判断して使い分けているのに、私はものくそ不器用なんだろう。裏表がなさすぎて「何考えてるかわからない」とか「実はそう思ってないんだろ」と言われてしまう。”計算高い女” とレッテルを貼られる。

 

人間は理解しがたい人間に対して ”恐怖” を抱く。予測できない動きをする人間は潰しておきたいのが本音だろう。

だから自分にとって有利な評価を下す。無意識にやっていることなんだろうから、私のような人間にとったらいわゆる ”普通” の人間の方が恐怖だ。

”計算高い女” は計算高い女だと思わせない計算をしているから気付くはずがないのに。シンプルに生きている側にとったらそんなレッテルはいい迷惑だ。

 

うん。何が言いたいのかわからなくなってしまった。お祝いの話から脱線しかしていない。大変に申し訳ない。

 

つまり、私の脳内はパニック状態であるということだ。

脳の活動が止まらないためこれにて止めてみようと思う。

 

じゃあ、またね。

 

母が定年を迎えたこと

 

こんにちは。はらっぱです。

ポカポカ陽気で清々しい。

 

母が定年を迎えたということで、昨日皆で食事に行ってきた。ファミレスだがな。普段から外食なんてほとんどしないうちの家族にとっては立派なお祝いだ。

家族自体あまり高級な食事に興味もなく、その上息子は白飯があれば十分であり、私も食に興味がないという状況。それでも形だけ。

 

今の時代定年を迎えても働く高齢者が多い時代。高齢者といっても今の60代はまだまだ若い。家にいるより仕事をしていた方が認知症予防にもなるから、平均寿命が年々伸びていく日本には理にかなっているようにも思う。

65歳〜74歳は准高齢者とする提言もあったほどだ。

 

老齢年金も65歳にならなければもらえない。もちろん厚生年金であれば、生年月日によっての特別支給にて報酬比例部分は65歳以前からの支給があるだろうけど。

個人年金の支給開始年齢を60歳で掛け続けていた人は、予知能力でもあったのかとさえ思ってしまうほどだ。

養老保険を親から受け継いで、大層な満期を迎える人もいる。

まぁ昔の貯蓄型保険の利率は相当よかったし、個人年金に関しては60歳定年に合わせての設定だったと思う。でも支給開始前にまだ働くと決めたとして支給開始年齢を遅られせば、更に利息が乗ってくるんだからそれも一つの宝になるのだろう。

 

逆に言えば今の若者たちはどれだけの老後資金を用意しておけばいいんだ。5,000万だの3,000万だのそんなにいらないだの様々な見解があるが、それも私たちがいざ老後を迎えた頃にはまた変わっているんだろう。あるに越したことはないが。

個人年金自体も確定年金ばかりで、売り止めになったところもある。個人向けの確定拠出年金も出たがもうどれを選べばいいのか。どれも昔ほどの利益がでるものはない。投資ともなってくるとある程度の知識をつけなければやはり難しい。NISAでも始めてみようか。

 

定年も65歳の企業が増えているし、将来的には70歳にしようという動きもある。若い頃は60歳目指して働き詰めていた人もいるんだろうに。世の中うまくいかない。

もちろん母は継続雇用でまだまだ働く。定年といってもまだ高齢者の区分ではないし、生活費を稼がなければならない状況は変わらない。生きるって大変だ。

 

自分に合った働き方や貯蓄方法を選ぶしかない。

自分の将来を考え直すきっかけにもなった。

 

そんなことをぐるぐる考えているうちに頭が疲れて、結果はいつも”お金持ちと結婚したい”っていう現実逃避に走る。

 

そんな女じゃ拾ってもらえない。うん。

 

まず、自分を鍛えること。

せっかくだからお金に関して面白かった本を2冊紹介する。

 

1.

お金が貯まるのは、どっち!?

 

学校では教えてくれないお金のこと。

本書は”保険” 銀行” ”生活習慣” ”住宅” などについて、2択で質問をしてくる。自分の癖は自分で気付きにくいが、本書に質問されることによって「そうだったのか!」と気付くことが多々あった。

”絶対こっちでしょ” とか ”何でわざわざ聞くの?”と思う質問にも、”そこかー!”と痛いところを突かれたり。おもしろくて一気に読みきったほどだ。

私のような学のない人間にもわかりやすく教えてくれる。

 

2.

 

年収200万円からの貯金生活宣言

 

本書は私のように今の経済状況や今後の経済状況を考えた時、「このままじゃやばい!」と思った人が読むべき本。

安定などないこのご時世、「貯金をせねば」と思っていても”思って終わる”ことはないだろうか。「貯金なんてできるほどの収入がない」とさえ思う。

本書では誰でもお金を貯められるようになる ”横山式90日貯金プログラム” が公開されている。慢性化した猫背を治してくれる整体師を見つけたような感覚だった。

 

紹介は以上だ。

 

母へ

あなたの娘は、まだまだ未熟だが一歩一歩成長している。孫と共に。

色々あったけども、本当にお疲れ様でした。

私も自分のペースで頑張るよ。

 

じゃあ、またね。

 

ADHD(注意欠陥多動性障害)を知ろう

 

こんにちは。はらっぱです。

 

今日はこの本を紹介したい。

 

ADHD 注意欠陥多動性障害の本 (セレクトBOOKS育ちあう子育ての本)

 

息子がADHDと診断されることになったきっかけの話。

小学校に入学して初めての家庭訪問にて、担任の先生から「多動じゃないですか?」と唐突に聞かれた。

同じ保育園の友達もいない中で初めての学校と言う場所で、入学してまだ1ヶ月も経っていなかった。子供としても落ち着かないのはしょうがないとしか思えない。

 でも相当詰められた

「授業中座っていられません」「集中力が続きません」「キレると手がつけられません」「机の周りがひどいです」「話を聞きません」「病院なら紹介します」

先生の言い方もあると思うのだが、もちろん初めは受け止めることはできなかった。余裕のない先生なんだろうって。先生自身感情が前に出てしまうようで、”怒鳴るために怒る”部類の先生だった。

 

”とんでもない担任にあたってしまった”と思った。どうして今の時代すぐに”病気”と決めつけるのだろうと時代さえ憎むほどだった。

 

マシンガントークが続き、頭が混乱したまま家庭訪問が終わった。しばらくすると冷静さを取り戻してくる。腹の底から湧き上がる怒りと、”そんなことで怒んのかよ”と鼻で笑うもう一人の自分が冷戦状態。それを見ていたまたそのもう一人の自分がようやく少し疑いを持ち始めた

 

そこでまず気付いたこと。

 

多動ってなんだ?”だった。

ググってみると”ADHD”というワードがズラッと並んだ。

 

一つ一つ読んでみると、心がザワついた。もしかして本当にそうなんじゃないかって。思い過ごしならそれでいい。でももし本当に息子が”ADHD”という障害を持っているのなら、息子のために真剣に考えなければならない。

 

何事もまず”知る”ことだと思い、翌日本屋へ駆け込んでみた。

 

そこで出逢ったのが、今日紹介した「ADHD 注意欠陥多動性障害の本 (セレクトBOOKS育ちあう子育ての本)」。

困難の始まりと同時に、すぐさまスタート地点に立つことができた。

 

まずこの本を手に取らなければ、同じ一年でも今ほど落ち着きを取り戻せていなかったかもしれない。もしかしたら取り返しのつかないことになっていたかもしれない。今となっては、少々強引な先生で良かったのかもしれないとまで思えるようになった。

実際に友達とのトラブルで、学校の休み時間に息子が道路に飛び出すという事件もあったのだ。報告を受けた時の衝撃は今でも忘れられない。

この本は漫画を織り交ぜていて、しかもカラフルで見やすいのが何よりいい。素人でも分かりやすく詳細に書かれている。ADHDの症例、原因、対策、家庭や学校でできること、薬物療法についてや実例など知りたかったことが詰まっていた。

もし少しでも不安や気になる点があるのならこの本を手に取ってもらいたい。悩んでいるより早い。大切な我が子が、生きにくさを感じて苦しんでいるかもしれない。ADHDの子は自分を卑下している場合が多く、大人になるにつれ二次障害(精神病など)を引き起こす確率が高いそうだ。病院の予約日を待つ間でも、病院に行くまでの行動は起こせなかったとしても、親の対応が変わるだけで子供は随分と楽になるはずだ。学校や関係機関との連携も取りやすくなる。

自分の子供ではなくとも、もし自分の周りに”ADHD”の子供がいるのなら同様だ。周りに知ってもらうだけで、その子にとってかなり生きやすい環境が増える。

 

ネットで情報収集が容易にできる時代だが、私は信憑性を求めたい。入り乱れる情報の中から採取することはかなり難しい。

 生きにくさを感じている子供を、少しでも理解してくれる人が増えたら本当にありがたく思う。とにかく自分が”知る”ことからだ。

 

”知った”おかげで次の行動に移ることができたのだ。

 

じゃあ、またね。

 

子供達の恋愛事情

 

こんにちは。はらっぱです。

 

先日友人(女)の家に行った時の話。

引越しをするということで”手伝い”という名目で訪れたのだが、案の定交代で家事をしたり子供の相手をしたりといういつもの過ごし方となった。

友人私の息子(7)はタイプが似ているので同じ空間で無言ながらゲームに夢中になっていた。時折ゲームについて語りながらゲームの世界で暴君を披露する息子を見て、友人が声高らかに笑う姿も見受けられた。

そして友人の娘(7)のタイプが似ているため、一緒に漫画を開きそのシーンについての評価を語る。一緒に昼食の準備をしたり、外で砂遊びをしたり、子供用のマネキンでヘアアレンジをしたり居場所を転々としていた。

 

 唯一皆が揃ったのは昼食の時間。友人の娘とカレーを準備し4人で食した。

息子はカレーなのに白飯だけを食すという相変わらずの偏食ぶりを披露していたが、空になった皿を運び食休みの時間。

友人の娘が ”詩集” を持って私の隣に座った。反対側には息子が座っている。「それなに?」と私が聞くと「載ったの!」と答える。中身を見せてもらうと、選ばれた小学生達の詩が集められた中に友人の娘の名前があった。

 

 

「さすがだねー!〇〇ちゃん(友人の娘)の小学校で他に載った子いるのー?」

「えっとね、3人だけのった!違うクラスの〇〇くんと、彼氏!

 

 

 

ん・・・? 彼氏・・・?

 

 

 

ちょっと整理しよう。

小学1年生で ”彼氏” がいるということに普通は驚くだろう。

でもちょっと待て。友人の娘の彼氏は私の息子だったはずだ。

 

友人とは子供が未満児クラスから同じ保育園に通っていたために知り合い仲良くなった。そして偶然にも友人の娘と私の息子の距離も近かった。それから年中まで同じ時を過ごしている中で、いつの間にか ”彼氏” ”彼女” という立ち位置に変わっていたはずだった。

 

 

 

やばい。息子が聞いている

 

 

 

もちろんまだまだ幼い子供だ。気持ちの移ろいは早い。私たちの子供時代だって、「好きな人はあー、〇〇くんと〇〇くんと・・・」と何人もいるのは珍しくなかった。

だが今は時代が変わった。子供の恋愛事情はどんどん進んでいる。

 

これはどうフォローしていいものか。友人も息子をチラチラ見ながら気にしている様子だ。そこで迷った挙句の私の一言

 

 

 

「えええー!もう彼氏いるの!〇〇(息子)聞いたー!?

 

 

 

えぐった。息子の心をえぐった。

よりによって何故その反応を選んだのかは私にも未だ理解できない。”もう” と言う前に保育園時代から2人は恋人という仲だったではないか。ということは ”浮気” とも取れるのか?慌てふためく私の心。

 

だが息子の返答は・・・

 

 

 

「すごいねー!(目はゲーム画面)」

 

 

 

え?褒めたよね?今、褒めたよね?

 

これは果たして、ショックを隠しているのか?はたまたよくわかっていないのか?それとも天才並みに受け入れが早いのか?

 

まさかの返答に私は、

 

 

 

「なんですごいの?」

 

 

 

これ絶対聞かなくていい。こっちから共感を強要したんじゃないか。

何故聞いたのか。逆に私の心を落ち着かせて欲しかったのかもしれない。

 

 

 

「だって今すごいねって言ったから(相変わらず目は画面)」

 

 

 

おう。そうか。

これは単純に受け止めよう。

 

ある種の ”失恋” と受け取った私たち。”ショックを受けること” や ”寂しいこと” という概念があるのは息子以外の3人だけだった。単純に息子は友達として会いに来ていただけだった。同じ時を過ごせれば息子は満足だった。

息子にとったら ”恋愛” すら始まっていなかったのだ。

息子はその後も何事もなかったかのように無言でゲームに夢中だった。

 

帰り際、今日息子が夢中になっていた ”任天堂switch” は何故今買ったのかという議論になった。単純に ”来月誕生日だから” という理由に尽きたのだが、友人の娘が「〇〇日だっけ?」と疑問を投げかけて来たため、私が「ううん。◇◇日だよ。」と答えると、「ああ、〇〇日は彼氏か。」と。

 

ぶっこんでくるなこの娘は。もう ”ジェラシー” を相手に巻き起こすテクニックを駆使している。

 

だが、息子には通用しないのだった。

 

帰りの車の中で「今日楽しかったね!」と言う、まずゲームしかしていなかった息子の屈託のない笑顔から発せられるその言葉に私の心は微量の痛みを感じるとともに顔は緩んだ。

 

時代が変わったとはいえ息子にはまず興味がなかったようだ。いらぬ心配をしてしまうのも親だからなんだろう。

といっても、まず ”彼氏” ”彼女” の位置付けに興味がないのは私の方だった。息子は生まれてからそんな私しか知らない。人間は肩書きがあると安心する生き物だ。ただそれだけのことだった。

 

そんなマイペースで素直な息子が大好きだと感じた1日だった。

息子にとって ”恋愛” はまだまだ先の話なんだろう。

 

じゃあ、またね。