のうないはらっぱの世界

発達障害〜ADHDの息子(8)〜を持つシンママのつぶやき

最後は愛にたどり着く

 

私は超がつく程の ”真面目” だ。

 

幼い頃はそんな自分が大好きだった。大人たちが語る正しいとされる行動を素直に受け止め素直に実践し、輪を乱すものには叱咤する。それが正義だ!と。

だが成長するにつれ、大人の語る言葉たちの矛盾に気付きだす。正しいとされる行動を素直に受け止め素直に従ってきた自分に嫌気がさし反抗する。思春期というやつだ。

見た目を派手にしたり、正しいとされる行動と真逆の生活を送る。たくさんの人に迷惑をかける。

それすらも、正しいとされる行動を素直に受け止めているからだ。本当に違うと思うのなら矛盾した行動を取っていたはずなのに。

 

大人になってみたらどうだ?正しいとされる行動を取らなくてはならないと自分を縛った。だが、完璧にこなすことが無理であることにも気づいていた。子供の頃容易にできたのは、思い込みによって突き動かされていただけだったと。

テストで良い点を取って、書道・絵画・新聞・作文・・・ありとあらゆる賞を取って、運動もできて。なんでも一番でいることが親にとっての幸せであり、私だからではなくともその”事実”を喜ぶ親をみることが私とっての幸せでもあった。

 

いつでも自分の行動には一貫性がなくてはならないと決めつけていた。何事も絶対だった。”絶対” がなければ行動してこなかった。私は檻の中を走りまわっていただけだった。

 

なぜ今こんなことを呟いているのかというと、それを自分の子供に教えられたからである。

 

 

ポケモンを捕まえて歩くゲームに息子がハマっていた時だった。

リアルタイムでポケモンの分布図を表示してくれるアプリを開いたようで、

 

子「アメリカのポケモン調べよ〜。・・・日本ちっちゃ!」

 

私「ただの島国だからね〜」

 

子「じゃあ木の実とかあるね」

 

私「まあね。でもどんどん自然無くなってきてるからな」

 

子「自然て?」

 

私「人が作ったものじゃないもの。木とか草とか山とか・・・」

 

子「まあそのおかげでみんな働くところがあるんだけどね」

 

私「・・・確かに」

 

大人になりきれない自分が世の中に嫌悪感を抱いている間に、子供は学んでいた。というか、悟っていた。

 

”自然を守ろう” と活動する傍で、”暮らしを便利に” と人が手を加え続ける。

”CO2を減らして地球温暖化を防ごう”とする傍、”CO2は地球に必要だ” ”地球温暖化は嘘だ” と異論を唱える人。難しいことはわからないがどれも正解なんだろう。

 

常に人は語り合っていたいんだ。何を信じて何を疑うかもその人の自由である。世の中は矛盾で成り立っていた。それを嘆いていても始まらないんだって。それこそ永遠に解決口はない。一つの答えはどこにもない。絶対もどこにもない。

 

ただ自分が信じたことを絶対と言える勇気が必要なだけだった。

 

”絶対成功する” ではなく”絶対成し遂げてやる” 。でもそこにも矛盾が必要で”絶対じゃなかった”とわかったら方向転換することも必要であるということ。

「あの人また言うこと変わった」「信用できない」となるのも人間だ。そこには”誠意” が必要となる。

 

人間は行動に対して気持ちや言葉が永遠のパートナーだ。紙切れ一枚で約束した事実より、自分の気持ちや言葉が何よりの助けになることを忘れないようにしようと思う。

 

なーんて。こんな風に言葉にできない、こんなの全てを包み込むのが”愛”なんじゃないかなって思うよ。

 

”真面目” も結構楽しいんだ。

ただ思ったことを綴ってみました。

 

じゃあ、またね。