のうないはらっぱの世界

ADHDの息子(8)を持つシンママのつぶやき

母と娘の関係(連鎖)

 

どうも、はらっぱです。

 

少々殻にこもっていた。十代の頃からどんどん深い渦に巻き込まれていっていた思考回路が、今一周して戻ってきた。

 

”自分を変えたい”

”生きやすい環境に身を置きたい”

 

そう思ったんだ。

 

”自分を変えたい” というのは、生きていれば何億万回(小学生風)も思うことだろう。でも、”生きやすい環境に身を置きたい” が追加されたんだ。

人間の波に乗れば生きやすいことは知っていた。でも人間の波に乗ることが嫌になってから、どんどん道を逸れて行くしかなかった。”どこかに自分の答えがある” と常に答えを探し求めていた。

 

でも待てよ?

なぜ人の波に乗るのが嫌になったのかを考えてみた。

私の場合で例をあげると、

 

①何でも一番になることはできない

②人と同じは嫌だ

③何も考えていない人間ばかりで自分もバカになりそう

④貧乏で人格否定されて育った自分に土俵などない

 

など、プライドが高く自己評価の低い女だったのだ。

 

じゃあもっと掘り下げてみよう。

なぜそう思うのか。

 

①一番にならないと親に褒めてもらえない

②人と同じことでは勝てない

③学歴等の劣等感が強い

④お金持ちは親から振る舞いや行動の仕方、お金の使い方を日常的に学んでいるから、自分がそうなれるわけがない

 

これ、親への当てつけが強いのではないか。

ちょっと待て。”親の思い通りには生きたくない” と思っているはずなのに、”親に認めてもらいたい” だけの自分になっているのではないか。

 

これ、前から気付いていたことなのだが ”いや、自分に限ってまさかな” と思っている自分がいたと思う。そればかりか、”姉の方(姉がおります)が愛情に飢えていたんだから私は今親のそばにいることを感謝しなければならない” と、いい子ちゃんも出ていた。

 

おいおい。

私って、”マザコン” ってやつじゃないか。

 

どこかで常に母親が思考回路を支配している。こんな話を同じ境遇の友人としたことが何度もあるのだが、そこでも常に ”いや、私に限ってまさかな” と思っていた。

 

ちょっと待て。

もしも ”いや、自分に限ってまさかな” と思っている人は要注意だ。

もちろん、気付いても気付かないふりをしないと生きていけない状況が人にはある。私もそうだった。だから気付いては蓋をして ”無” の自分を保ってきた。

母から離れることが一番だと気付いて自立することを伝えた時、「出て行くなんて許さない」と言われた言葉にも従ってきた。「子供がかわいそうだ」と子供をネタにして罪悪感も植えつけられていた。人には「あの子が一人でやっていけるわけない」と言われていたのだが。

 

でも、またその ”違和感” に気付いて抜け出したいというサイクルが回ってきた。今、”チャンス” なわけよ。これを過ぎるとまた数年回ってこないだろう。

思考回路が一周して戻ってきたと言うよりは、何周もしてきた思考回路がひとまとめにして大きな輪を描いて戻ってきたようなイメージだ。

 

そこでだ、最初にお話しした ”生きやすい環境に身を置きたい” 。これって、本当に普通のことをするだけでいいのではないか。

例えば、”イライラしたら深呼吸をする” とか、”疲れた時はお風呂にゆっくり浸かる” とか。”運動不足だと感じたらランニングする”とか。

アドバイスとして人に言われる度「・・・?」と言葉が出なくなるほど在り来たりだと感じていて、「何を言っているんだこの人は。」としか思わなくなるほど思考の渦に巻き込まれていたんだ。”そんなアドバイスは小学生でも知っている。私は解決策が欲しいのだ” と。

 

でも後になって思った。それこそが一番の解決策なんじゃないかと。

 

誰も人の人生を変えることはできない。

助言をもらったからと言って、それを実行するのかしないのかは本人の意志だ。

 

前にあったんだ。悩んでいる友人に助言のつもりでアドバイスをしたら、友人の旦那様から「お前にこうしろって言われたからやったって言ってんぞ!殺すぞ!」と。

それ、違うよねって。友人からすれば「言う通りにしただけなのに何が悪いの?」ってことでしょ?

でも選んだのは自分じゃんねって。

私は具体的にアドバイスをしすぎたのかもしれない。説得力があると言われるタイプだ。理想をイメージさせてしまったと同時に、マインドコントロールにでも陥らせてしまったのだろう。

”信者” みたいなものが生まれる。だから縁を切ることも多かった。

私は共感より解決策を求める男性的思考だそうだ。だから、人にも共感でなく解決策を求めていた。

 

そう、具体的な解決策を講じるためにはその人の人生に踏み込む必要がある。そして踏み込みすぎてしまったんだ。でも、それでは自分も気負いすぎてしまう。代わりに人にもそれなりの答えを求めてしまっていた。

でも、それ違うよね。ただ単に ”すごい” と思われたかっただけかもしれない。人との距離感なんて ”イライラしたら深呼吸しなよ” くらいがちょうどいいんだ。

 

大切な人には深いところまで踏み込んでしまう。どうでもいい人は接点すら持とうとしない。

 

これ、歪んでるよね。

 

母親と同じ ”支配欲” を他人に向けて実行していた。これには今回殻にこもるまで気付けなかった。

支配できない人間を嫌いになることもあった。でも、縁を切らなかった友人たちがいる。どこかで気付いていたんだろう。他人に支配されない人間が、私は ”好き” だと。

 

”母と娘の関係は連鎖する” と聞いたことがあるが、私はこの連鎖を断ち切りたい。人との関係も、私のやり方で築いていきたい。

私と母の親子関係など、私の息子には関係のないことだ。息子がADHDであったことで気付かされたことも多い。一番支配できない存在だ。元々の息子の性格もあるはずだし、息子には自由に生きて欲しい。親は子供のサポートをする存在で十分なはずだ。愛があれば伝わるものだと思うが、もちろん言葉にすることも大事だ。

 

時間はかかるだろう。深呼吸したりお風呂にゆっくり浸かったり、ランニングでも始めていらない考え方を捨てていこうと思う。

 

支離滅裂ですまない。

 

じゃあ、またね。